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ガラスが、いつどこで生まれたかについては、まだ解き明かされていないが、一般には紀元前数千年前頃のメソポタミアかエジプトだとされている。 そして、ガラスが比較的普及するようになったのは約3500年前からだろうと言われている。ちなみに、建築物としてガラスが初めて使われた建物は『ベルサイユ宮殿』との仮説も。 当時は宝石と同じように高価なもので、ねばっこいガラス素地を粘土で作った形に押しつける型押し法や、布袋に砂を詰めた芯に熔けた糸状のガラスを巻きつけたり、芯を熔けたガラスの中につけて、冷えてから砂の芯を抜く砂芯法で成型されていた。 紀元前30年頃から、ローマ帝国が分裂する395年までの間に、吹き管の先に溶けたガラスをつけて風船のようにふくらませて成型する吹きガラス技法と呼ばれる方法が生まれた。これによって、様々な形や大きさのガラス製品を作ることが可能になった。この方法は現在でも受け継がれている。 そして、ローマ帝国がその版図を広げるとともに、ガラス製造技術は全ヨーロッパに広がっていった。 一方、建物との関係をみると、この頃から、半透明の天然石膏や雲母の板に加えて、ガラスも窓材料として使われはじめたようである。
ローマ帝国の没落後、ガラス職人達はシリアとヒザンチンに集中し、東方諸国では金属化合物を混入してガラスを着色する技術が進んだが、これが後のステンドグラスの開花につながる。 やがて、ベネチアがガラス製造の中心地となり、そこで発達した技術がさらにヨーロッパ全域に広がっていく。 中世の教会や、王侯諸侯の城にはステンドグラスや鏡がさかんに用いられているが、こうした建築需要が中世のガラス工業の発達をうながした大きな要となった。ガラスを窓に使用するためには、平らな板ガラスが必要になるが、この時期に、吹きガラス技法によってふくらましたガラスを回転させ、遠心力によって平らにするクラウン法が開発された。 この頃から、ガラスは次第に工芸品から実用品へと広がりをみせ、工業としての基盤を固めていく。
建築分野でのガラス使用が広がるにつれて、より平滑でより大きいガラスが求められるようになった。 技術的にも、17世紀末頃に発明された手吹き円筒法が、1800年頃から、板ガラス製法の中心となり、従来に比べて平らで大きく、しかもより薄い板ガラスが作られるようになった。 また、18世紀後半に起こった産業革命は、ガラス工業にも大きな革新をもたらした。 例えば、新しいソーダ灰の製造法が開発されたことによって、ガラス原料のアルカリ源に、それまでの木や海藻の灰に代わってソーダ灰が用いられるようになった。 あるいは、蓄熱式加熱法の発明によって、容易に高温が得られるようになり、ガラスを熔解する技術が飛躍的に進歩した。 1851年、初めて万国博がロンドンで開催されましたが、この時のメインパビリオンとして、水晶宮(クリスタル・パレス)と名付けられた、ガラスと鉄による巨大な建物が作られている。この一大デモストレーションが、多くの人々に建物に使用される板ガラスの効果を強く印象付けることになった。
1900年代に入ると、熔解ガラスから直接ガラスを引き上げて成形するフルコール式、ピッツバー式、コルバーン式、などの製造法が生まれ大量生産が可能になった。さらに現在の型板や網入に用いられるロールアウト式が出現した。 また、より大きくという要求と、より平滑な面を作り出そうという欲求は強く、出来上った板ガラスの面を研磨する磨き板ガラスの技術が一層向上する一方、フロート式と呼ばれる革新的な技術が誕生した。 フロート式とは、熔解したガラスを、熔融金属の上に浮かべて製板する方法で、完全な平滑面が得られるので、改めて研磨する必要がない。 このような製造技術の発展とともに、建物の開口部あるいはもっと範囲を広げて外壁全体についてなど、建築技術の面からも様々な基礎的、応用的研究が行われ、日本のような地震多発国においても、大板ガラス工法やカーテンウォール工法、あるいは高層建築へのガラスの使用など、より広範囲にガラスが使用されるようになっている。 そして、機能・性能に対する要求の多様化に応じて、様々なガラスが生み出され、建物との関わりは一層強くなってきた。
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